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対人恐怖症克服カウンセリング

対人恐怖症克服カウンセリング

対人恐怖症を克服するには原因を突き止め医師との相談で回復を目指しましょう。対人恐怖症の為就業できない人が増えています。

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人を判断するということ

生きていく上で、自分以外の人と関わらずに生きていける人は一人もいません。人は、人と関わり、ぶつかり、分かち合いながら生きて行くのです。
「人」と関わっていく・・・。
人生において、とても大事でなくてはならないことですが、その「人」、そのものに恐怖を抱いてしまったら、「自分」はどうなるのでしょうか。

例えば、ある人が「私は、芸能人のJが好き。」と言うとします。
そのJ氏は、一般的に見て、二枚目ではありません。
「自分」には、J氏のどこが魅力的なのかさっぱりわかりません。
「自分」は考えます。
自分の気持ちに素直になって、「Jのどこがいいの?」と「その人」に訪ねるか、それとも、「その人」の意見を尊重して、自分に嘘をつき、「確かに、私もいいと思う」と言うか。

「こう言ったら、相手はどう思うだろう」と考えられるということは、とても素晴らしいことだと思います。しかし、それは全て自分にとってプラスであるとは限りません。
相手の気持ちばかりを考え、本当の自分を隠して生きるというのは、想像以上に苦しいものがあります。


上のパターンの場合は、どちらが正解である、ということはありません。
「どこがいいの?」と素直に聞いて、ムッとする相手であるか、そうでないかは、「その人」とのコミュニケーションの中で、「自分」が判断するしかないのです。

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過去の人

これまで、「人と接すること」を重点的に書いてきましたが、「対人恐怖症」になった人も、そうでない人も「もう二度と会いたくない」と思う人がいるのではないでしょうか。
私にはいます。


自分が若く、精神的に未熟であったからそう思ったのではないか。
もしかしたら、あれは愛情だったのではないか。と、過去を思い出して考えることがあります。
大人になった今、当時の状況を思い出し、「もう二度と会いたくない」人の発言を、繰り返し頭の中に流します。
自分が成長していないだけなのかもしれませんが、大人になった今も、やはりどうしても「その人」のことが理解できないでいます。


もちろん、もう会う必要の無い人ですから、考えなくてもいいことかもしれません。しかし、私は私に関わった人、もの、事柄の全てを、自分に必要だったと思いたいのです。実際、その人に会って、辛い思いをたくさんし、自分が嫌いになり、人と会うことが怖くなった時期がありました。「自分なんかが生きていていいのか」と考え、周りの友達にも迷惑になっているのではないか、と真剣に悩みました。
しかし、悩んだ分、その後には、新しい人達との出会いがあり、楽しい思い出もでき、あの時悩んでいたことも笑って話せる自分がいます。
そして、精神的に満たされている今、当時のことを考えた時、「やはり自分は間違っていなかった」と確信するのです。


「自分は間違っていなかった」けれど、その悩んだ過去が自分の人生に「不要」だったかと考えると、やはり「必要」だったと思います。
そうでなければ、今の友達には出会っていないし、今の私も存在していないからです。
人と関わることはとても辛いけれど、やはり幸せなことなのです。

人と接するということ

「人は支えあって生きている」・・・と述べましたが、それは「親類」であったり、「友達」であったり、「恋人」であったりとさまざまな関係の人が含まれます。
しかし、人と接するということは、実はとても難しいことでもあります。
その人との関係が近づくほどに、考えないといけないことが多くなるからです。何事にも「メリット」と「デメリット」があるように、「人間関係」にもプラスになる面とマイナスになる面があるのです。


例えば、自分にとって仲の良い友達がいても、自分が思っていることを全てその友達が理解してくれるかはわかりません。友達といえども、他人には変わりなく、自分と同じ考えを持っているとは限らないのです。ですから、友達と付き合っていく上で「ここまで言ってもこの人は怒らないだろう」と相手のボーダーラインを見極めることはとても大切なのです。軽い気持ちで言った一言が、相手を深く傷つけないとは言いきれません。「親しき仲にも礼儀あり」という言葉からもわかるように、ちょとした甘い考えが相手の逆鱗に触れないよう、自分の発言をコントロールする方法も身につけた方がいいと思います。


こういった人と接する「デメリット」の部分で、悩んでいる人もいます。相手に気を遣うあまり、自分の発言でその人が嫌な思いにならないだろうか、と相手の気持ちを害することを極端に恐れているのが「対人恐怖症」の人達です。
次からは「対人恐怖症」について考えてみたいと思います。

平和な人の悩み

人を怖いと思い、対人恐怖症になり、結果「平和な人」になる。
皆に良い顔をして、皆に「いい人」だと思われて、争いや衝突とも無縁の「平和な人」。人間関係にも深く悩まなくていいし、気楽そうでいいなと思われがちですが、そんな平和な人にも悩みはあるのです。
それは、皆に良い顔をしている為、「本性がわからない」と思われがちである、ということです。
皆に良い顔をするというのは、本来の自分を隠して生きることでもある為、人を傷つけることはしないけれど、心も開いてくれないと思われるようです。


「私、人が怖いんです」とある女性に言われたことがあります。
私から見た彼女は、明るくて、優しくて、皆に好かれている人。そんな彼女が「人」に対して恐怖心を持っていたことに、私はとても驚きました。
話を聞いていくと、「対人恐怖症」になった原因は、彼女にとって「友達」にあたる存在だった人との間で言葉の受け取り方に誤解が生じ、気まずくなってしまったことにあると思う、と彼女は言いました。それ以来、人とは深く関わることが出来なくなってしまった、と。また、「私は喜怒哀楽を出すのが怖いんです」とも言っていました。自分の感情を出すことで、相手がどう思うかがとても気になるというのです。


「人の反応」が気になるというのは、私にもわかります。
皆、「自分は自分」だと思っていながらも、どこかに不安があるものです。褒められれば、当然嬉しいし、反応が無ければ、悲しい気持ちになり、自信がなくなります。
でもそれは人と関わる上で当然のこと。
人と接するということは、それなりの覚悟も必要なのです。

対人恐怖症とは

「人」と接するのが怖くなる・・・その症状は病名にすると「対人恐怖症」と呼ばれます。 「人」と関わってきたことがある人は、言い換えると、世界中の全ての人は、「対人恐怖症」であると私は思います。 違う環境で育って来た人間同士が、そう簡単に分かり合えるはずはありません。歩み寄り、仲良くなったかと思えば、激しい喧嘩をし、仲直りし、色んなことを乗り越えて人は人を認めていくものだと思います。 「対人恐怖症」の原因の多くは、「衝突」ではないでしょうか。 人とぶつかり合い、本音を言い合うことは、とても苦しく、辛いものです。それは、相手の目から、発する言葉から、自分への憎しみがひしひしと伝わってくるからです。 人は誰だって「人に好かれたい」と思っている生き物です。 それが、「衝突」することによって、明らかに、その相手から自分は「嫌われている」立場にいるという事実を突き付けられます。そんな時、人はひどく落ち込みます。 もう、何もかもがどうでもよいと思えるくらい、心が折れてしまうのです。 「人に嫌われた」という経験があると、自然と人は「衝突」を避けて生きていくことを考え始めます。皆に良い顔をし、争いごとには無縁な「平和な人」になるのです。 もちろん、その生き方も正解だと私は思います。 皆に良い顔をする、というのは、「自分が無い」と思われがちですが、実はとても難しいことなのです。 「皆に同じように接することができる」人は、「皆に平等である」人であり、そしてそれは、その人の個性にも繋がっていくのです。

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